世の中は韓国ブーム。
K-POPだけではなく、お菓子や化粧品なども沢山。
街中でハングル文字を見ることも多くなり、見かけるたびに読んでしまいます。
高校3年生のとき、私は韓国語の参考書を購入しました。
購入のきっかけは、韓国の友達と文通を始めたからでした。
彼女の手紙に、美しいひらがな文字で「こんにちは」と書かれているのを見て、私も彼女の言語を学びたいと思ったのです。
しかし、その当時はまだ冬のソナタも流行る前、そして、現代のようにインターネットで気軽に情報を得られるような時代ではありませんでした。
今では韓国語の教材がたくさんの本屋で手に入りますが、当時は「アジア言語」の枠に数冊しかありませんでした。
その本屋で入手した一冊の参考書と、彼女たちが送ってくれたVHS(韓国のアイドルが出演しているテレビ番組が録画されたVHS)を使い、どうにかして文字を読もうと必死に勉強。
そうしているうちに、意味は分からずとも、文字は読めるようになったのです。
そして、少しずつ単語も理解。日本語と文法が同じであることも理解が深まる一手となりました。
現代は、インターネットを使えば簡単に翻訳が出来てしまいます。
簡単な文章であれば、学ばなくても理解できてしまうのです。
それはとても手軽なので、世界の言葉を知るためのハードルも下がりました。
翻訳アプリのみで語学学習が出来る時代になりました。
しかし、必死に学んだ韓国語と比較すると、理解度が浅く、頭に残りにくいのです。
「いつでもアプリを使えば意味が分かる」と、甘えてしまっているのでしょうか?
「あの頃必死に勉強していたな」、街中でハングル文字を見かけるたびに思い出します。
そして、今このように思い出すのは、あの頃の自分から今の自分へのメッセージなのかもしれません。
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